2005年02月22日
清水式広報論 地域活性化編 3−2.【ギネス記録挑戦会で地域活性化 実例検証】「文化」活動の発展にギネス申請が効果的
さて、引き続きギネス記録申請やギネス記録挑戦会を行って、地域の活性化を促進させた実例を検証していきましょう。
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「世界最多の句碑」山梨県身延町・句碑の里を育てる会 (1049基の句碑)
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山梨県に「句碑の里を育てる会」というボランティアグループがあります。
山梨県南巨摩郡身延(旧中富)町に「句碑の里」をつくり、その企画・運営を行っている会です。
*句碑:世界でもっとも短い詩といわれる「俳句」を石に刻んで自宅や、作者ゆかりの地などに建立した石碑。
もともとは、まちおこしのボランティアグループの方が、地域活性化の取り組みとして、
研修会などを行っていたそうですが、ひょんなきっかけがあり、「句碑」を作ることに。
そして、 俳句愛好者たちの好評を得て、全国各地から申し込みが寄せられ、2004年8月1日の時点で、句碑の数は1049基になったそうです。
句碑の里は、富士山を一望できる富士見山の中腹へといたる道沿いにあり、約1kmにわたり、道沿いに句碑がずらり!
句碑の里を育てる会では、この句碑の里を「世界最多の句碑」として2004年12月22日、ギネス申請を行いました。
俳句に興味を持つ人が増え、同時に句碑の里もよりいっそう成長していきたい・・・という目的でのギネス申請を行われたのですが、その後、色んなメディアでこのギネス申請の話題がとりあげられました。
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「世界最多の句碑」山梨県身延町・句碑の里を育てる会 (1049基の句碑)
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山梨県に「句碑の里を育てる会」というボランティアグループがあります。
山梨県南巨摩郡身延(旧中富)町に「句碑の里」をつくり、その企画・運営を行っている会です。
*句碑:世界でもっとも短い詩といわれる「俳句」を石に刻んで自宅や、作者ゆかりの地などに建立した石碑。
もともとは、まちおこしのボランティアグループの方が、地域活性化の取り組みとして、
研修会などを行っていたそうですが、ひょんなきっかけがあり、「句碑」を作ることに。
そして、 俳句愛好者たちの好評を得て、全国各地から申し込みが寄せられ、2004年8月1日の時点で、句碑の数は1049基になったそうです。
句碑の里は、富士山を一望できる富士見山の中腹へといたる道沿いにあり、約1kmにわたり、道沿いに句碑がずらり!
句碑の里を育てる会では、この句碑の里を「世界最多の句碑」として2004年12月22日、ギネス申請を行いました。
俳句に興味を持つ人が増え、同時に句碑の里もよりいっそう成長していきたい・・・という目的でのギネス申請を行われたのですが、その後、色んなメディアでこのギネス申請の話題がとりあげられました。
句碑の里の運営活動そのものは、それほど派手なものではありませんので、「もっとたくさんの人に知ってもらいたい」と思っていても、なかなか思うようにはいかないでしょう。マスコミで取り上げられるなんてのは、かなり難しいかもしれません。
でも一方では、俳句愛好家が全国にかならず居ますので、全国に対して広くPRができれば、なんらかのリアクションを起こす人が必ずでてくるでしょう。
そういう意味では、俳句に興味を持つ人を増やしたい・句碑の里の運営活動を活発にしたい、という目的で、ギネス申請を行った結果、マスコミに取り上げられたのは大きな成果だったと思います。
実は私は、「句碑の里・ギネス申請しました」というプレスリリースを配信したとき、少しインパクトが薄いかな・・と思っていたのですが、期待以上にマスコミに取り上げられました。
私なりに分析したのですが・・・
じつは、句碑の里を育てる会の発足には、ちょっとユニークないきさつがあったのです。
(詳しくは↓)
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【句碑の里・発足のいきさつ】
「句碑の里」は、過疎化が進んでいた中富町の「逆手塾」というグループが町おこしのために昭和61年(1986年)に開いた落語会がきっかけとなりました。
それ以前にも町おこしの取り組みとして、さまざまな人を呼び研修会などを催していました。その催しのひとつに、マルチタレント永六輔さんによる講演会があったそうですが、永さんから「句碑づくり」の話や、まちおこしのアイディアを聞き、グループ代表の宮本重男さんが興味を持ったことがきっかけだそうです。
永さんの俳句仲間であり落語家の入船亭扇橋さんを紹介され、落語会を開催。落語会の後、扇橋さんから俳句が届き、宮本さんはこの俳句を句碑にしたそうです。これが最初の句碑であり、現在の「句碑の里」の始まりとなりました。昭和63年(1988年)のことです。
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そのユニークないきさつを、ごくごく簡単にまとめて、プレスリリースに入れておいたのです。
その「ストーリー」が、記者の方の興味を引いたのかな・・・と勝手に分析しています。
さて、今日は、「文化」活動の発展にギネス申請が効果を出した、というお話でした。
あと1例ほど、「実例検証」を続けたいと思います。
でも一方では、俳句愛好家が全国にかならず居ますので、全国に対して広くPRができれば、なんらかのリアクションを起こす人が必ずでてくるでしょう。
そういう意味では、俳句に興味を持つ人を増やしたい・句碑の里の運営活動を活発にしたい、という目的で、ギネス申請を行った結果、マスコミに取り上げられたのは大きな成果だったと思います。
実は私は、「句碑の里・ギネス申請しました」というプレスリリースを配信したとき、少しインパクトが薄いかな・・と思っていたのですが、期待以上にマスコミに取り上げられました。
私なりに分析したのですが・・・
じつは、句碑の里を育てる会の発足には、ちょっとユニークないきさつがあったのです。
(詳しくは↓)
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【句碑の里・発足のいきさつ】
「句碑の里」は、過疎化が進んでいた中富町の「逆手塾」というグループが町おこしのために昭和61年(1986年)に開いた落語会がきっかけとなりました。
それ以前にも町おこしの取り組みとして、さまざまな人を呼び研修会などを催していました。その催しのひとつに、マルチタレント永六輔さんによる講演会があったそうですが、永さんから「句碑づくり」の話や、まちおこしのアイディアを聞き、グループ代表の宮本重男さんが興味を持ったことがきっかけだそうです。
永さんの俳句仲間であり落語家の入船亭扇橋さんを紹介され、落語会を開催。落語会の後、扇橋さんから俳句が届き、宮本さんはこの俳句を句碑にしたそうです。これが最初の句碑であり、現在の「句碑の里」の始まりとなりました。昭和63年(1988年)のことです。
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そのユニークないきさつを、ごくごく簡単にまとめて、プレスリリースに入れておいたのです。
その「ストーリー」が、記者の方の興味を引いたのかな・・・と勝手に分析しています。
さて、今日は、「文化」活動の発展にギネス申請が効果を出した、というお話でした。
あと1例ほど、「実例検証」を続けたいと思います。

